図書館豆知識 45
質問 |
平田出身で戦後初の島根県知事となった、「はら ぶじろう」という人物について知りたい。彼の石碑があるということだが、どこに建立されているのか教えてほしい。 |
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回答 |
原 夫次郎「はら ふじろう」と表記されている文献もあり)は、明治8年(1875)に、楯縫郡多久谷村(現在の出雲市多久谷町)の農家、原幾次郎の三男として生まれました。18歳で上京し和仏法律学校(現在の法政大学)に入学、梅謙次郎やボアソナードらから法学・フランス語を学び、卒業後は文官高等試験司法科に合格して、裁判所判事や検事を歴任しました。 明治40年、司法省からフランスに派遣され、パリ大学、グルノーブル大学で学び、法学博士の学位を得て帰国後、再び検事として働きながら、母校法政大学の講師を兼務し、第三次桂内閣においては、司法大臣秘書官にも起用されました。 大正9年、44歳の時、島根選挙区から政友会で衆議院議員選挙に立候補して初当選すると、以後昭和21年まで衆議院議員として連続9回当選しました。多年にわたる代議士時代には、原敬、高橋是清両首相の秘書官や司法政務次官など、要職を歴任しています。 昭和22年、71歳で、公選制による初の島根県知事となり、島根経済の再建、民主主義制度の実施など、戦後の山積する県政の課題解決に精力的に取り組みました。 昭和28年、松江市新雑賀町の自宅で78歳の生涯をとじます。生前の功により従四位に叙せられ、勲二等旭日重光章を授与されました。 |
参考文献 |
『平田市大事典』(平田市総務課 発行) |